伸びをしている真田。
何かを引きずる音が近付いてくる。ずず、ざざ。
大量の書類箱を引きずる晩夏が近付いてくる。
真田「なに…行商?」
晩夏には聞こえていない。
真田「あのー、お茶飲んで休んでいきませんか」
晩夏、目礼して真田を通り過ぎようとする。
真田「かき星とかもあるし、ちょっと休んだほうが」
晩夏「あの舟に乗るので今回はちょっと。また次回お願いします」
真田「あの舟ってアレ、あの舟? えっ、これお兄さんの荷物です? 無理無理!こんなにあったらお兄さん一人でもギリギリですよ! せめて戻りの舟を待たないと」
晩夏「そうか」
真田「よかったら、ほんと休んでいってください」
晩夏「そういうことであれば、お言葉に甘えましょう」
真田「これ、メニューです」
晩夏「ありがとうございます。では、コーヒーを濃いめでお願いします」
真田「はい、ミルクとかは」
晩夏「ブラック!」
真田「あ、はい。お待ちください」
晩夏「私、晩夏 阿武と申します」
真田「あっえ、どうも」
晩夏「なんとお呼びすれば」
真田「あ、すみません。真田です」
晩夏「いい名前ですね。真実の田園」
真田「ははは…」
晩夏「差し支えなければ、パーソナルネームは」
真田「っあー…私、恥ずかしいんですけど、名前忘れちゃって…。まぬけですよね、自分の名前忘れるって。 でもなんかここに長くいるとあるみたいです。消えてくみたいな…」
晩夏「忘れるのと思い出せないのは似ているようで全く別のもの。しかしその認識を誤っているうちに、変化していってしまう」
真田「…はい…」
晩夏「失礼。ただ、大切な事は思い出せなくても決して忘れてはいけないです」
真田「はい」
晩夏「真田さん、ここは長いんですか」
真田「あーいや、そんな。でも、皆さんに比べたら大分ですね。居残りしてます」
晩夏「何年ぐらいですか」
真田「そうだなーもう何年経ったんだろ、ここにいるとなんか時間の感覚もズレてくるので、おぼろげなんですよねえ」
晩夏「書いておくといいですよ」
真田「ほんとですね、私何でも忘れちゃうから」
晩夏「今日あった小さな出来事とかを日付と共に書いておくといい。あとであれは何時だったか思い出したい時に、見直せます」
真田「あ、そうか…。忘れるんじゃなくて、思い出せないってそういうこと」
晩夏「そのとおりです」
真田「やってみます」
晩夏「無理せず一日ひとつずつどうぞ」
真田「はい」
真田「いやーしかしびっくりしました。それ、晩夏さんの荷物ですか?」
晩夏「いかにも」
真田「“だいじなもの”ですよね? そんなに沢山どうやって。ひとつしか持ち込めないはずなんで」
晩夏「ひとつだ」
真田「え?いや」
晩夏「どこが欠けてもいけない、これ全てでひとつだ」
真田「えー…どう見てもいっぱいかなー…」
晩夏「最初の関でもそう言われた。しかしこれら全てが揃ってこそ、法廷でしっかりと闘える証拠。大切なひとつだ。どこがが欠けて万が一法廷で不利になったら、お前は責任を取れるのか?と確認をしたら、すんなり通してくれました」
真田「個数じゃなくてカテゴリーで数えるのってありなんだー…」
晩夏「これはとんちだ。実際これはすべて必要な書類だし」
真田「なんなんですか?中身」
晩夏「気になるかね」
真田「はあ、まあ、そんな量見たことないんで」
晩夏「調査記録だ」
真田「へえ」
晩夏「これまで生きてきた地球の膨大な調査記録だ」
真田「あー、学者さんとかなんですか?」
晩夏「詩人だ。この身に起きる全ての事象をしっかりと感じ取り、中でも不条理をここに書き留めてきた」
真田「はー」
晩夏「そのために長く赴任させられていた」
真田「あー社外に潜入調査みたいな?」
晩夏「そう、どこかの星から地球の調査のために、罰ゲームのように送り込まれたと思っている」
真田「…」
晩夏「まあ、もっと俗っぽく言えば、日記とも言えるかもしれない」
真田「日記。多分それ日記ですよね」
晩夏「ただの日記ではない」
真田「はい…」
晩夏「自分に降りかかる不条理だけではなく世間のこと、地球のこと、自分を送り込む星や宇宙についての不条理も、気が付いたものは全て書き記してきた」
真田「えぇ…名前とかですか?」
晩夏「そんなものではない、すべてだ」
真田「はー…すごいデスネー。あ、コーヒーいれちゃいますネー」
晩夏「…」
真田「はい、コーヒー濃いめです」
晩夏「ブラック。ストレート。」
真田「はい」
晩夏「失礼、響きが好きで。混ざり合っているというのも、またそれは重要な瞬間ではある」
真田「はい…」
真田「しかし、それだけの執念で書き上げた“だいじなもの”ですかー」
晩夏「欠けてはいけない」
真田「でもあちらにいったら、みんな鮮やかに思い出せるらしいですよ。折角持ってきたのに、失礼かもだけど…」
晩夏「思い出すんじゃない。人から見える、正確には読める状態でなければならないのだ」
真田「えっ、それ読ませたいんですか」
晩夏「そのための物だ」
真田「…晩夏さんて、ちょっと変わってますよね」
晩夏「引いているな、わかるぞ」
真田「いや、私は日記とか特にそこに書いてある恨みつらみとか、あんまり人に見せたくないかなー。恥ずかしくないですか」
晩夏「違う。そんな変態承認欲求の塊みたいな目的ではない」
真田「違うんですか」
晩夏「そういったエゴイスティックで露悪的な動機ではない。最後の瞬間に自分を余す事なく受け入れ赦されたい者がいても否定はしない。
しかしこれはそんなものではない。これは、法廷裁判の重要な証拠なのだ」
真田「証拠?」
晩夏「私は閻魔法廷で徹底的に闘い抜き、納得のいく判決がでないならそんな法廷に用はないので火を放つ。そのための最重要資料、いわば唯一の武器だ」
間
真田「……はい?」
晩夏「大丈夫か」
真田「あ、いや、なにかちょっと聞き間違えたかも。あのあれか、晩夏さんはもしかしてこのあとの裁判こわい感じですか?」
晩夏「話を聞いていたのか」
真田「すみません…」
晩夏「いいか、この証拠を元に、ひとつひとつ徹底的にやり合う覚悟だ。何時この出来事があったこっちはこれだけ食らった、そっちはどういう了見だ。あーそうかい、じゃあこれは、と。」
真田「でも…あの、言いにくいけど、閻魔法廷では、向こう側にもちゃんと…詳細が書かれた記録を元に進めるとk」
晩夏「裁判でやり合う時に、相手が持ってくる証拠なんか向こうの好き勝手に切り取られてるに決まってるだろう。やりあう相手が用意した根拠を元に話を進めるなんて、それは田吾作のすることだ。私はそんなことはしない。」
真田「そうかも、しれないですね」
晩夏「そんな裁判をされるようでは、始める前から火を放つしかない」
真田「それなんですけど」
入ってくる赤鬼。
赤鬼「姐さん〜。うわっなにこれ。姐さんの新しい寝床っすか」
晩夏「それに座るからにはそれなりの覚悟をしてもらおう」
赤鬼「えっなんすかこいつ」
真田「赤ちゃんだめ、それこの人の“だいじなもの”」
赤鬼「“だいじなもの”⁉こんなに⁉」
真田「それで、ひとつらしい」
赤鬼「ええ?」
晩夏「膨大なページの巨大な一冊だ」
赤鬼「なんなのこの人?」
真田「えーっと、お茶入れるわあ〜…」
赤鬼・晩夏「…」
間
晩夏「鬼か」
赤鬼「え、あ、はい」
晩夏「実に興味深い」
赤鬼「はあ」
晩夏「権力の犬、いや鬼とも、法廷で会うまではいがみ合う事もない。仲良くしよう」
赤鬼「は?」
晩夏「しかしひとたび法廷で会えば容赦はしない、その時は覚悟してくれ」
赤鬼「はあー?なにこれ喧嘩売られてる?姐さーん!ちょっと!」
真田「いやなんか、裁判準備ガチ勢みたいで…」
晩夏「星を見るたび憶いだせ」
赤鬼「姐さーん!!」
真田「はーーいーー!!」
真田「えっと、お茶です」
赤鬼「はい。で、裁判ガチ勢ってなに? 賄賂でも用意してんの?」
真田「いや、」
晩夏「それはひどい侮辱にあたる。私は閻魔法廷の場に恥じない公正さで当たるし、閻魔にもそれを求める」
赤鬼「…はあ」
晩夏「それが崩されたと判ったとき、そんな法廷は意味がないのでその時点で火を放つ」
赤鬼「はあ!?お前なに言ってんの!?」
真田「赤ちゃん落ち着いて」
赤鬼「いやお前何言ってるかわかってんの!?は!?テロリストかよ!」
晩夏「私は火を放ちたいわけではない。閻魔と互いに公明正大にやり合うことを今は少し楽しみにしているくらいだ」
赤鬼「そんな圧掛けても、裁判では意味がない。記録と照らし合わせて、必要であれば地獄に行ってもらう」
晩夏「そのための資料で、それを元に閻魔と徹底的にやり合うという話だ」
赤鬼「あのさ、その閻魔って呼び捨て、すげえ気になるんだわ。失礼だよ。やめてくれないかな」
晩夏「これは失礼。閻魔さん」
真田「ぷっ」
赤鬼「やめろ!笑うな! …いいよ!呼び捨てで!」
晩夏「悪くないが、閻魔さん」
真田「やさ…やさしそ…ふぐっ」
赤鬼「やめろ!威厳を削ぐな!おまえ不敬だぞ!」
晩夏「ここではそういう罪もあるのか、権力だな」
赤鬼「…ないけど!」
晩夏「お前可愛いな」
赤鬼「なっ、馬鹿にすんなナメんな、こっちは鬼だぞ」
晩夏「失礼、鬼さん」
真田「ふはははは、だめーもう無理〜」
赤鬼「やめろーーー笑うなーーー!」
真田「いやーー晩夏さんてほんと面白いね。こんな人初めて」
晩夏「別に冗談ではなく」
赤鬼「冗談であってくれ…」
真田「でもでも、バチバチにやりあうつもりで行ったら、『貴方は全然地獄じゃないんで、闘(あらそ)うまでもないです』って言われたらどうするの?」
晩夏「これら全ての証拠に基づいてなら、甘んじて受け入れよう」
赤鬼「いや、こっち側が持ってる資料でもう地獄回避確定してたらって話よ」
晩夏「あらすじを読んで書いた読書感想文は、読書感想文と言えるのか問題」
真田・赤鬼「…」
晩夏「閻魔がそのように判決文を書くなら、そのような法廷は意味がな」
赤鬼「地獄回避なのに!? 放火が回避できない!!!」
真田「ぎゃはははは!もーーー、晩夏さんすごいーー!」
赤鬼「でも、張り切ってるところ悪いんだけどさ…担当官はなんていうか、閻魔様じゃないよ」
晩夏「ほう」
赤鬼「閻魔様なんて滅多に出てこないよ。世界的な政治犯とか伝記に残るような人ではじめて出てくるんだ。
みんな期待して来るし、気持ちはわかるんだけど。ぶっちゃけお互いの不正とかを防ぐためにも、中は事務的に淡々と進んでいくんだ。地獄に行く前も説明があって、みんなそんな悲観的じゃない。どうしても行きたくなくてあの手この手で粘る人いるけど、ほとんど意味ない」
晩夏「いいことだ」
赤鬼「だからまあ、会えなくてもさ、気落ちすんなよ。次でもしかしたら会えるかも!って、楽しみにも出来るし」
真田「転生ガチャね〜」
晩夏「ありがとう。しかし心配には及ばない。閻魔はきっと出てくるだろう」
赤鬼「いやー自惚れだよー。なんでそこまで言えちゃうの」
晩夏「私が本気だからだ」
赤鬼「…」
真田「あははは、大変だ〜」
赤鬼「笑うな。あ、いや。 姐さん、この人マジですわ」
真田「え?」
赤鬼「さすがにわかるわ…そうすか。すみません、もう何も言いません」
晩夏「いや、言ってもらって構わない。一問一答は大好きだ」
赤鬼「そうですね。自分には何も言えません」
真田「え」
晩夏「固くならずに」
赤鬼「…うす」
真田「ねえ、晩夏さんのその荷物、赤ちゃん運ぶの手伝ってあげたら?」
赤鬼「え!?俺!?」
真田「うんー、賽の河原の大八車使ってさ〜。赤ちゃんが居れば向こう側でも借りられるでしょ」
赤鬼「ええ…俺が連れてきたみたいなのは、ちょっと…俺も一応鬼だから、その、立場上…いつもならいいけど、後々責任問題になりそうな、いやー晩夏さん手伝いたいけど、うーんこれは仕事的に」
真田「えー晩夏さん危なそうだからってこと? でもなんかほんとに閻魔様出てきそうなんでしょ?危ないなら監視が必要だし、VIPなら放っといたらまずくない?」
赤鬼「あー確かに、か」
晩夏「お気遣いなく。誰かに負担を掛けた上での裁判はこちらが強く出られない。この重さは自分の人生の重さ、法廷まで一歩一歩ずっしり感じてこそ」
赤鬼「いや、晩夏さん。いいっすよ。一緒に行かせてください。俺も見届けたいっす」
真田「だよね。私は行けないから、私の分も見てきて欲しい。ね、晩夏さんこれもご縁だから」
晩夏「そういうご縁は大歓迎、であれば運んでもらうのもやぶさかではないです」
真田「ははは、よかった」
赤鬼「じゃあ、じきに舟も来る頃。いきますか」
晩夏「そうしましょう」
真田「晩夏さん!頑張ってね!私楽しみにしてるから!」
赤鬼「(満足げに頷く)…えっ、ちょっと待って、何を!?」
晩夏「ご期待に沿えるよう全力で」
赤鬼「不穏度を増さないで!?」
晩夏「真田、お前は何故ここで茶屋をやることにしたのか」
真田「あーまあ色々あるけど、なんかもう少しちゃんと何かやってからでも渡るの遅くないかなというか」
晩夏「そうではない、何故茶屋なのか。何故茶屋でなければいけないのか」
真田「いやーここで出来そうなことで、まあ人が喜ぶことで自分でも出来そうなことって、こんな感じかなと」
晩夏「風呂屋じゃ駄目だったのか、水はこんなにもある。私はここで風呂屋を始めたら700年間大盛況させる自信がある」
赤鬼「どんだけ居んすか」
晩夏「閻魔に会う前に三途の川で入れた風呂で身を浄める。産湯に始まり、終わるときもまた湯で締める。呼び込み文句も最高だ!
しかし真田は茶屋でお茶や星を出している。何故だ」
真田「何故…」
晩夏「その理由を思い出すとき、閉ざされたお前の真の名前も再び甦るだろう。
That’s what I’m talking about.」
赤鬼「…えっ行くの⁉」
はける晩夏と赤鬼。
黙って見送る真田。しばらくそのまま見ている。
カウンターに戻り、茶とかき星を用意して席につく。
お茶をゆっくり飲んでから、かき星を一口じっくりと。
真田「私の、味…。私の、理由…。」
じっと考え込む真田を残しつつ、ゆっくりと暗転。